今では当たり前になっている、緑色した煎茶が生まれたのは江戸時代。日本橋から広まりました。今日は、煎茶が広がった日本橋と江戸時代の歴史を徒歩と船でたどるお茶さんぽを紹介します。
煎茶を広めたのは海苔で有名な「山本山」だった
緑色の煎茶は江戸時代に京都で生まれた
緑色した煎茶が飲めるようになったのは、江戸時代。京都・宇治田原町に住んでいた永谷宗円(ながたにそうえん)さんがお茶の葉を揉むという製法を生み出したからでした。それまでは、黒っぽいお茶が一般的でした。
日本橋から煎茶が広まった
永谷宗円さんが、この煎茶を江戸で販売したいとお店を回っていた時に出会ったのが、山本山さんでした。山本山さんは、このお茶を「天下一」という名前で販売し大変人気に。山本山は高品質のお茶を取り扱うお店としても有名になり、緑色の煎茶が日本橋から広まりました。
老舗こだわりの海苔弁当とお茶&和菓子でランチ
山本山の旗艦店である「山本山 ふじヱ茶房」へ。山本山ならではメニューにしようと、「海苔重 ー鮭ー」を頼みました。贅沢に海苔をふんだんに使った海苔重に、海苔のお吸い物に、海苔の酢の物と海苔づくし。上品なお味でした。
お菓子とお茶のデザート付きだったので、きんとんと煎茶も。お菓子とお茶は好きなものを選ぶことができました。
https://fujie.yamamotoyama.co.jp
徳川家にお菓子を献上していた和菓子屋さん
ランチの後に訪れたのは、山本山 ふじヱ茶房から徒歩5分くらいの場所にある「日本橋 長門(にほんばし ながと)」です。暴れん坊将軍で知られている8代目の徳川吉宗(よしむね)の代から、お菓子を徳川家に納めていた和菓子屋さんです。
江戸時代から続くお菓子、松風というお菓子を購入したかったのですが、予約が多いため現在は予約停止中。お店の看板商品として有名な久壽(くず)餅をお土産に購入しました。
名前は久壽(くず)餅ですが、中身はわらび餅。ぷるっとしたやわらかい食感で、ほどよい甘さです。保存料や防腐剤を使用していないので、賞味期限は2日のみでした。
プレジデントさんの記事ですが、わらび餅なのに、どうして久壽(くず)もちという名前になったのか紹介されていました。気になるかたはこちらもどうぞ。
https://style.president.jp/lifestyle/2018/0804_000337.php
http://nagato.ne.jp/
船に乗って江戸をたどるー日本橋クルーズ
川から日本橋をのぞいて見ようと日本橋クルーズへ。「お江戸TOKYOクルーズ®️45分コース」という日本橋から隅田川大橋までをめぐるコースに参加しました。
日本橋川は、江戸時代につくられた人工的な水路。物資を船で運ぶ運送路として活躍しました。下の写真にある石垣は、常盤橋門跡(ときわもんばしあと)。ここは交通の要所で、見張りをする門だったそうです。
今回体験したコース以外にも、神田川を巡るコースやナイトクルーズなどのコースもありました。
https://nihonbashi-cruise.jp/index.html
江戸時代から茶の木が植えられていた神社へ
日本橋から水天宮の方まで足を延ばして、茶の木神社へ。ここは、江戸時代にあった武家屋敷跡にある神社です。そのお屋敷には、お茶の木がぐるっと植えてあったそうで、そのことにちなんで茶の木神社という社名になったそう。今でも神社の周りにはお茶の木が植えてありました。
毎年5月には献茶祭も行われているようです。